8ヶ月ぶり、2度目のnehanリトリート。山本さんは、前回の体験で「生きてもいい」という感覚を得ていました。
けれど、その後の日々の中で、少しだけ違和感が生じるようになっていたようです。
「生きてていいにはなったけど、生きてていいだけの人になってる気は少しだけしつつ、でも生きてるんだからいいじゃんって思ってた」
今回の3日間で、彼女が辿り着いた場所は「生きてもいい」のさらに先——「楽しんで生きていい」という新しい感覚でした。
希死念慮から「生きてもいい」へ
山本さんには、長い間、心の奥で抱えていたものがありました。
山本
私めちゃめちゃ希死念慮が元々強い人で、
いつ死んだっていいやみたいな、自分の命なんか投げ打ってやるぐらいの気持ちで生きてたんですけど。
そんな心持ちで過ごしていた中、8ヶ月前に初めてnehanを訪れました。
山本
その時にこちらに来て呼吸をやって、
死んでもいいがあるなら、生きてもいいがあっていいなってなって。
生きてもいいを最近は体感してたんですね。
「死んでもいい」があるなら、「生きてもいい」もある。
その気づきは、彼女にとって大きな転換点でした。
「生きてていい」の先にあったもの
そして8ヶ月後、2度目のリトリート。
山本さんの内側には、ちょっとした引っ掛かりがあったようです。
山本
生きてていいにはなったけど、
生きてていいだけの人になってる気は少しだけしつつ。
でも生きてるんだから、いいじゃんって思ってたんですけど。
「生きてもいい」と感じられることは、人生において大切な感覚でしょう。
けれど、それだけでいいのだろうか——そんな問いが、彼女の中で静かに浮かんできたようです。
楽しむという中に、すべてがある
3日間のリトリートを通して、山本さんの中で、ひとつの感覚が立ち上がってきました。
山本
この3日間を通して、最終的に得たものは、「楽しんで生きていい」。
しかし、それはただ単純に「楽しい」ことだけを求めればいい、という意味ではありませんでした。
山本
その楽しむっていう中に、楽しいだけが人生ではない——
人生に彩りを与えるのは、苦しみも怒りも悲しみも、そういう悩み全てだなっていうので。
喜び、悲しみ、怒り、苦しみ。人生には、さまざまな感情があります。
それらすべてを、否定せず、抑え込まず、ただ受け取っていく。
山本
自分が受け取れるもの全て、きちんと自分の中で消化して、
楽しんだらいいんだっていう感覚を得ました。
山本
私にとってそれが結構大きい価値観になりまして。
「楽しんで生きていい」——それは、感情の波をそのまま受け入れながら、自分という存在を味わい尽くしていいという、許しの言葉でした。
小さいと思っていた感情が実は大きかった
リトリートの中で、もうひとつ、予想していなかった気づきもありました。
山本
大衆的なことで言うと、前は全々出なかったんですけど、
今回、家族の悩みがすごく出まして。
山本
意外と私はまだ、お母さんとかお父さんに対して何かのトラウマを持っていて、
愛してないわけではないんですけど、何かその父や母に、
こうして欲しかった、ああして欲しかったっていう感情を持っていたっていうのが気づきでしたね。
大人になった今、振り返れば、大したことではないように思える。
けれど、幼い頃に感じた「こうして欲しかった」という小さな痛みの体験は、気付かぬうちに現在の自分を形作る土台になっていることがあります。
山本
すごい私の中では小さいことだと思ってたんですけど、
結構その小さいことが、かなり大きいことだったみたいで。
見過ごしていたもの、忘れていたもの、些細なことだと捉えていた体験。
それが実は、自分の感じ方や物事の選択に作用していたのだと気付いたとき、人生の進路が大きく変化することもあります。
山本
それを少し気づけただけで、その後、どう解消するかとか、
どう固まった気持ちを溶かしていくかみたいなのに、フォーカスができたので。
それに気づけたっていうのは、私の中ですごく大きかったです。

カラフルな器になっていく
リトリートを終えて、山本さんはこれからの自分について、こんな風に語ってくれました。
山本
それを踏まえた上で、将来どういう風になっていくかっていうのを考えた時に、
まず楽しく生きよう。
山本
どの感情にも素直に受け取って、
自分という器を、もう少しというか、
まだ真っ白い器だったのを、カラフルにしていってもいいんじゃないか。
山本
みたいな気持ちになったよっていう感じですね。
苦しみも、喜びも、悲しみも、怒りも。それらすべてを受け入れていくこと。
それが、人生を「楽しむ」ということなのかもしれません。
「生きてもいい」から、「楽しんで生きていい」へ。
山本さんの器は、これからどんな色で満たされていくのでしょうか。